乃木坂46はモッブを生み出さない~坂道ナショナリズム論④~
長い前振りが終わり、いよいよメインにはいってきます
つまりは、アイドルでナショナリズムは語れるか?
ここまでの内容を整理すると、
①伝統を重んじるナショナリズムに対して、全体主義は、伝統の破壊により共通項を見つけようとする
②民主主義は、ナショナリズムよりも全体主義に近い存在
今回のポイントは①にあります。
つまり、伝統を否定しているか?ということです。
そもそも、坂道シリーズにとっての「伝統」とはなにか。
例えば、乃木坂46はAKB48の公式ライバルとして結成されました。
すると、乃木坂46はAKB48ので伝統と反するのか。
でも、両グループには共通点があります。
【共通点】センター・選抜・アンダー制度、握手会の存在
基本的にAKBの伝統は重んじてる?という見方ができます。
一方で、雰囲気はどうかでしょうか。
乃木坂46は「雰囲気がいい」と言われています。
それは、メンバー同士が選抜・アンダー関係なく、仲良くしている印象がもたらすものです。
例えば、写真集『乃木撮』は2018年の写真集売り上げ年間ランキング1位となる大ヒットとなりました。
これをナショナリズム論で話した高文化の話に繋げていきます。
平均化を目指すなかでモッブみたいな存在が生まれてしまう。これは普通であればしかたないことです。
ですが、乃木坂46において、このモッブは生み出されないわけです。
モッブを生み出さなければ、全体主義につながることはありません。
なので、乃木坂46はナショナリズム的グループという立ち位置になります。
そんなおしゃれな曲を出している乃木坂46もデビュー曲は「ぐるぐるカーテン」というTHEアイドルソングでかわいい曲でした。
もともと、AKB48も「会いたかった」というかわいい曲を出しているわけなので、デビュー曲はかわいいテイストの曲が傾向としてあるわけです。
しかし、この固定観念に一石を投じたのは、欅坂46の「サイレントマジョリティー」でした。
欅坂46といえば、ナチスを彷彿とさせる衣装で、物議をかもしたこともありました。
だから欅坂46=全体主義というのも短絡すぎるのでもう少し筆を進めていきます。
またまた、高文化の話です。
落ちこぼれてきな存在が、モッブに近い存在と話しました。
でも、平均化に反する存在は、落ちこぼれだけじゃないです。いわゆる吹きこぼれ、平均よりも突出した存在もいるわけですよね。いうならば、「逆モッブ」。
逆モッブは平手友梨奈ということはできないでしょうか?
さらには、欅坂46の「ガラスを割れ」という曲。
サビの冒頭は、
目の前のガラスを割れ!
握りしめた拳で
Oh!Oh!
やりたいこと やってみせろよ
おまえはもっと自由でいい 騒げ!
という歌詞です。どこか、安保闘争を彷彿とさせるものを感じないでしょうか。
そして、繰り返しになりますが、
安保闘争の帰結は、「民主主義」という名の「全体主義」なわけで・・・・
話は日向坂46に移ります。
もともと、日向坂46は、けやき坂46(「ひらがなけやき」と言われてました)という欅坂46の妹分的な存在でした。
それも、欅坂46の元メンバーである長濱ねるの欅坂46の加入のタイミングで、メンバーを募集。
もともと、前身のけやき坂46は欅坂46に対して少し格下げされた位置づけにいたんです。
とすると、出自自体がモッブに近い存在というわけになります。
そして、彼女たちにとって欅坂46という妹分的存在、そして「けやき坂46」という名前は「負い目」に近いものと考えられます。
「負い目」というキーワードどこかででてきましたね。
そうです、ドイツ・ロシアが負い目ゆえに「血」という架空の根拠を民族定義に用いてしまった。
同じように、彼女たちの負い目はグループ名の改名という形で払拭されます。
そして、「改名時のメンバー」という根拠をもとにグループの定義を行ってしまった。
それは、改名という伝統の否定なわけですから、全体主義的な発想とも言えます。
坂道シリーズをナショナリズムをベースに語ると、
乃木坂46⇒ナショナリズム的
欅坂46⇒全体主義的
日向坂46⇒全体主義的
という位置づけになります。
以上、坂道シリーズをナショナリズムで語ってみたでした。
ありがとうございました。