乃木坂46はモッブを生み出さない~坂道ナショナリズム論③~

次にナショナリズム=民主主義?の誤解を解いていきます。

 

ここで、登場する知識人は江藤淳丸山真男です。

そして、ここでのキーワードは「朱子学」になります。

 

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丸山真男

 

まず、江藤と丸山の朱子学に対する立場を明らかにすると、

江藤は、朱子学に共感して肯定的
丸山は、朱子学を戦前思想と捉え否定的

これは、両者の1945/8/15に対する見方にも共通して言えます。
丸山は、とにかく戦前を否定的にとらえていた。だからこそ、1945/8/15を転換点と捉えるわけです。
嫌いだった戦前がその日をもって終わるわけですから。
一方の、江藤は、1945/8/15を「挫折」と捉えます。

 

そもそも、両者が朱子学という江戸時代の思想に着目したのはなぜでしょうか?
日本文学史上に、空白の60年間が存在します。それが、1600年からの60年間。
江藤は、この空白を発見し、1600年を1945年と同じ位置に位置付けます。

 

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江藤淳

そこで、江藤はこう考えました。
朱子学という普遍的な価値観、戦後でいうところのアメリカが流入し、無秩序状態になっても、自前の伝統から善悪の共通基準を見つけ、世界を再構築する必要がある。

 

一方、丸山は、批判の意味を込めて朱子学をを「自然的秩序」と記しました。
天が上、大地が下にあるのは、自然的現象であり、恒久不変の原理である。
朱子学は、この不変の法則を、人間関係にも当てはめ、「お上」(=天)は「大衆」(=地)よりも上にあると述べてしまっている。


そんな二人にとっての、戦後最大の政治的事件は何か。
1960年の安保闘争です。

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安保闘争の模様


戦後、日本には民主主義が芽生え始める。
そんな期待を持っていた丸山でしたが、安保闘争では、市民の声=民主主義が敗北。
さらには、デモの様子は、一種の全体主義、戦前に近い状態でした。
丸山の「戦後」に対する期待は崩れたわけです。


対する江藤も、戦後に対する期待をもともと持っていなかった。
さらには、安保のデモも、指導者が、民主主義を守るという自分の正しさに、他を巻き込んでいるだけと感じた。
「政治の過剰支配」=全体主義に通じるものと考えました。

 

つまりは、民主主義≠ナショナリズム、であり、民主主義=全体主義ということになります。